イベントレポート〜文学部って役に立つの?〜

こんにちは!実は先日、

「〜文学部って役に立つの?〜文学部の価値を議論する会」

というなかなか面白い会に参加しました。


▼そのイベントはこちら

〜文学部って役に立つの?〜 文学部の価値を議論する会

そもそもの発端は、文学部である僕と、友人の金ちゃんで文学部の存在意義ってなんじゃろな?というところから始まりました。(Twitterです笑)

文学部生でありながら、その学問に対する価値を感じて学んでいる学生って少ないんじゃないかなと思います。

というわけで、今回はイベントレポートのような形でブログを活用しようと思います。


<目次>


1.参加者自己紹介

今回の参加者は、途中で入れ替わりもありましたがその場での参加が6名、Skype1名の7名での話し合いとなりました。

その中でも文学部が5名、経済学部が1名、医学部が1名という異色メンバー。逆になんで来てくれたんだろう笑

学年としては1年生が1名、2年生が3名、3年生1名、4年生2名となりました。多種多様な人たちが来たので議論が白熱しそうな感じです。

一番気になったので、医学部の通称ぽこちゃんになぜ参加したのか聞いてみました!


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もともと文系志望でした。言語学とか興味あって、結構したかったんですよね〜。でも、自分の将来のキャリアが高校の時は分からなかったこと、親の仕事の影響、自分の成績が理系の方が伸びていたこともあるし、自分の今後成し遂げたいことも実現できるのではないかと考えて、医学部に行きました。(諸説あり)

最近だと、臨床系の部分は文系要素強いなって感じてて、というのは、患者さんとのコミュニケーションってけっこう大事なんですよね。

文学部は思考を形に残す、コミュニケーションをとるというところが色濃いと思うので、すごく興味があって今日参加しました。


参加者一同の感想は、


総合大学の強みを活かす男、ぽこちゃん、、、!


という感じでした。笑

他にも

言語学志望で、方言の研究などをしたいと考えている男の子

・英文研究室で認知言語学について学んでいる男の子

倫理学研究室でメタ認知的なことを問い続けている女の子

経営学部でマーケティング戦略を練りまくっている男の子

・英文研究室で日本語と英語の主語の位置に関する論文を書いた男の子

社会学研究室で介護に関する卒論を書いたわたくし

というメンツで議論を行いました。

また、司会進行は金ちゃんがやってくれました。ありがとう!

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2.どうして文学部ができたのだろうか?

2-1.そもそも文学部ってなんだっけ?

そもそも文学部とはどのような範囲を示すのだ?ということを考えることから始めました。

東京大学の文学部の分類は、以下写真のようになっていまして、一旦これを参考にします。

東京大学文学部HP


九州大学も同じような形なので、一旦は文学部とは、

「思想・歴史・言語・行動科学に分類されるような事象についてを追求する学問」

ということにしました。


ここで、医学部のぽこちゃんから純粋な問いが飛んできます。

社会学とか心理学が九大だと文学部に入るのがなんか違和感なんですよね〜」

おそらく、九大文学部の方の中にも同じ疑問を抱えている人がいるのでは?と思うので、解説しておきましょう!


僕が教授から聞いた話では、もともと九大の文学部では心理や社会学が入っている人間科学コースは含まれておらず、後になって統合されたものであるので、そもそも最初は別のものだった、ということがあるそうです!

(Factベースで話ができるようかなりググってみたんですが、なかなか出ず…。)

一旦、もっとも根拠に近しいものは下のもので、平成20年時点では人間科学コースはなく、「哲学・歴史・文学」という分かれ方をしてました。

参考:平成20年時点での九大文学部

では、本題に戻ります!!!


2-2.文学部はなぜ出来たのか?

そもそも学問の始まりは哲学だったという話が、認知言語学を学んでいるはらけいから上がりました。

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そもそも大学ができるにあたって、学問追求ということを考えれば、技術的な専門職は専門学校に行っていたが、哲学を起点とした文学に対する追求を大学では行っていたとのこと。

これは確かに。

さらに彼によると、

海外の博士号はPHDと呼ばれるんですが、これ、なんの略かというと、

PHD=Doctor of Philosophy

つまり、哲学博士なんですね。

wikiより

Doctor of Philosophy、Ph.D.(ピー・エイチ・ディー)は、おもに英語圏で授与されている博士水準の学位である。直訳では「哲学博士」となることから分かるように、基本的にはあくまで、伝統4学部のうち職業教育系の神学・法学・医学を除いた「哲学部(ないし教養部)」のリベラル・アーツ系の学位である。

参照:wiki Ph.Dとは?

つまり、あらゆる学問や専門職に対して哲学思想というものは結構大事だって話らしいです。ふむふむ。

まとめると、

・そもそもの学問追求として、哲学や文学があった

・てことは、思想追求とかがそもそも学問としての意義があったのでは?

リベラルアーツとか哲学者とかも、言ってみれば地位の高い時間のある人たちが物思いに耽った結果だしな

という感じになりました。


3.文学部は役に立つのか?

3-1.そもそもの問題提起から疑う

さてさて、文学部の成り立ちはまあ一旦置いておいて、そもそも議論の本題に移ることにしました。

文学部って、役に立つんかいな?

という議論に入るにあたり、さすがは倫理学専攻の 通称ののちゃんが、

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「そもそも役に立つってなんですかね?」


きましたね。この、概念提起からまず考えるという倫理学の僕が好きなところです。笑

学問が役に立つ必要があるのか?という問いに昇華したとすれば、正直、起源を考えればそんな必要はないと僕は思っています。

まあ確かに、大学生的な考えだと、就職にどう活きるんだとか、考えちゃいます。

でも、そもそも大学って学問追求する場であって、思考を追求する場であって、社会に出るにあたりどう役に立つのかという点では実学になるので、これはただの一般論的な概念に流されただけでは?という感じになりました。

さらに言えば、最近だと哲学、倫理学社会学などでは、現代の社会に対して学問的追求をどう活かすことができるのか?を考えている教授が増えてきたらしく、その点においては思考することや「人とは何か?」という問いをしっかり考えることはすごく重要だと思います(自分たちが生きていく上で)。


3-2.具体的に、どう役に立つんだろう

この議論に入った時に、はらけいからこんな話が。

アメリカのMITはテクノロジー系のメッカではありますけど、言語学のメッカでもあるんですよ。だからあの大学は理系も文系も強いんです。

そもそも文系はあまり重視してなかったんですが、戦争があって、その後冷戦期に入って、行き過ぎた技術革新が人間にもたらす災いに対し、文学部の思考や研究が抑止力になるらしいっす。


なんと、、、!

そんな観点は全くありませんでした。

「文学部の学問追求が行き過ぎた技術革新の抑止力になる…だと!」

みたいな感じで6人はなりました笑

確かに歴史的に見れば、戦争が終結した時に芸術や文学が勃興するというイメージは、世界史の教科書を見ても明らかかなと思います。

(教科書の構成が、戦争とかの争いの章末に大体ありましたよね。懐かしい。)

ということは、日本では文学部への予算配分を減らす動きがある中で、集団的自衛権などの話も可決され、第3次世界大戦なんて言葉も出てきている現代は、本当に戦争の前触れなのかもしれないなあと思います。

▼集団的自衛権はこんな感じです。(一応)

参照:集団的自衛権について

ということは、文学部って

社会に対してめちゃくちゃ役に立つんじゃないか…?

ということになりました。


4.これからの文学部のありかたとは?

しかし、いくら集まった7名が文学部の存在意義や社会に対しての訴求に気付いたとしても、その輪が広がらなければ意味がないと思っています。

抑止力というものは目に見えないものであり、大きな危機が訪れた後になってその重要性に気づくもの。

僕たちは、大学生が大学生に向けて今回のようなディスカッションを共有すること、話し合う場を設けることが重要なのではないかと考えています。

結局強制力の働かない有志の集まりでは、興味関心の高い人が集まるだけであり、その輪を大きくすることへのスピード感と規模感はやはり弱くなってしまう気がします。

学校側の働きかけ、学生から大学への働きかけ、国や自治体などの大きな組織が何かしら働きかけるようなものが重要かもしれないなあとなりました。

また、金ちゃんは、「ある程度想定していたことが、より確信に変わった」と最後に言っており、


文学は文学、哲学、歴史学は人間自体、または人間が積み上げてきたことを研究することによって普遍的な価値、どうすれば幸せになれるのかみたいなことを研究して未来の社会のあり方を決めていくために文学部があるのではないか?理系の力があって初めて、文系の掲げる未来のイメージに対してアプローチできるみたいなことを思った。


と言っておりました。

彼にとっても刺激になったということであれば参加者一同はすごくよかったなあと思います。


5.最後に

僕自身が考えていることを備考として、半ば蛇足的に書いておきます。

最近は哲学や倫理学を少しかじり始めたのですが、テクノロジーがより進歩していく社会のなかで、文学部の存在意義はより大きくなると思っています。

よく例に出すのが、 デザイナーベイビー。

出生前診断などのDNA解析技術の向上によって、将来の病気へのリスクや先天的な病気へのリスク回避になることが知られていますが、その時「廃棄」(あえて廃棄と言います)される受精卵は「人間」なのでしょうか?それとも生物ではないものですか?

鶏の卵を考えてもらえれば、私たちは卵の状態であれば生き物である感覚はあまりないですが、ひよこだったら生き物だと考えやすい。 さらに言えば、レントゲンで卵の中で鳥の形をしていたらおそらく割らないと思います。

じゃあ、 どこからが生き物であり、ひいては人間なのでしょう。

こんな時に哲学や生命倫理学などの観点が非常に重要になってくると思ってます。

もう1つ主張として書いておきたいのは、政府が文学部への予算配分の削減を考えていますが、これまであまりその予算を有効的に、本質的に必要に応じて利用できていなかった場合は削減していいのかなと。

年末の道路工事みたいな、一定以上与えられた予算を使わないと次年度の配分比率が下がるみたいな話なら、もう少し柔軟に対応した上で削減していいと思ってます。

そうではなく、本当に意義を感じて研究をしているなら、それを頭ごなしに不要として削減するのは違うのかなと。

難しい問題ですし、様々な人・組織が関わるようなことなので、一概に結論付けることはできませんが、もう少し1人1人が検討する時間を要してもいいのではないかと思ってます。


一旦今回は3時間ほど話をしましたが、興味のある方はまた開くことができるのではないかと思うので、ぜひ。

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彼と僕は春から東京へ行っちゃいます…。